【経営】士魂商才の大海賊 出光佐三の名言 野中根太郎

こんばんわ、読書くんです。今回は出光興産の創業者、出光佐三氏についての一冊。

 

士魂商才の大海賊 出光佐三の名言

士魂商才の大海賊 出光佐三の名言

 

 

【社会のため、社員のために存在する会社】
出光佐三氏は1885年、福岡県宗像郡生まれ。明治維新から20年も経っていないころの生まれです。9年後に松下幸之助、21年後に本田宗一郎が生まれた時代と考えると、実業家大航海時代ですね笑。

 

社是は士魂商才。消費者、国民の為になることを命を懸けてやり抜き、その一本の筋の中にもビジネスとして成り立たせていく努力をするということを掲げていました。

 

佐三氏の経営理想、仕事観は商売をしていた父親の影響が大きかったといいます。出光商会の主義の第一は、人間尊重。第二も人、第三も人。10人の子供がいれば、1人や2人はできの悪いのがいる。それもひっかかえていくのが家族温情主義であると。

 

なにもいわないでいいから、相手の立場になって考えるというのが愛。出光は社員全部が経営者である。とよく佐三氏は言っていたそうです。愛を持って従業員を育てる、身をもって難題に向かって鍛錬する。古き良き家族型経営は一旦日の目を見ない時期もありましたが、最近では改めて見直されていますよね。運動会や仕事参観日を導入する企業も増えてきました。

ここからはむしろぜひ「海賊とよばれた男」を見て涙してみて欲しいところではありますが(笑)、佐三氏の初就職は酒井商会という、三井物産出身の人がつくった小さい会社に入りました。

 

26歳の時、家があった門司に出光商会を創業。石油の時代が来ることを見越し、機械油販売から扱いました。後に東京に進出しますが、世界大戦を機に会社が傾きかけたこともありました。普通の会社なら、致し方なく社員の首を切り、人件費をまず減らすでしょう。しかしその際は、1人も解雇することなく事業を存続させました。そのため借金は大きく残ったが出光には海外に八百人の人材がおり、これが唯一の資本で事業をつくる、と言いいきったと言います。

 

この「あえて首をきらない」という決断が、社員からの信頼をより強固なものとし、またそれなら自分たちで事業を大きくしていこうという意思を固め、人材自体をより成長させる機会となりました。もちろん美化している部分もあるかと思いますが、それでもここまで会社を大きくさせることが出来た秘訣のひとつなんだろうとヒシヒシと感じさせる部分でした。世の中に大きなインパクトを与えていく人たちは、器も大きいんだろうなあと感じるものだったなあと。ぜひ自分を奮い立たせるために読んでみて欲しい一冊。ではではー